熟年の日記

熟年離婚バンコク一人ぼっちの年金暮らし

生命保険のセールスマンの仕事は想像を絶する仕事でした。

当時の第一生命のセールスマンの給与はフルコミッション制で現在の給与体制とは全く異なり、神田西支社セールスマンの収入は月30万が目標(現在の価値で200万)でした。その為保険が売れなければ、その月の収入はゼロの為、支部長から年収で自分の生活を考えるように言われました。だだし神田西支社は支社長の経営方針で入社の3か月間は月2件を販売すれば5万円の給与が保証されると言う実力給与でした。

5月から飛び込み営業を始めましたが、保険は全く売れず5月の契約は当時の彼女からの1件と学生時代の友人からの1件でした。6月も知人からの2件、7月も知人からの2件でした、8月からは保障給与は無くなり8月5日に貰えたのはコミッショの

7000円呑みでした。飛び込み営業に行っても、バケツで水をかけられたり、

不法侵入者として110番通報されたり散々な結果でした。その為飛び込み営業は自分には向いていないと判断して支部長に退職の申し出をした所、

支部長から石原君は見込みがあると思い特別採用したのに残念だが退社しなさいと言われ世間の厳しさを体験しました。

その際、支部長から「8月は創業の月」と言って職員が全国一丸となって働く大増産月があり頑張れば佐渡島の一泊招待旅行があるので、8月の一か月を再度頑張るよう、

言われ仕事8月5日に貰った7000円の給与で8月自分の人生を賭けた、セールスマンに突入しました。

 

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生命保険のセールスマンの仕事は想像を絶する仕事でした。

<第9回>

当時の第一生命のセールスマンの給与はフルコミッション制で現在の給与体制とは全く異なり、神田西支社セールスマンの収入は月30万が目標(現在の価値で200万)でした。その為保険が売れなければ、その月の収入はゼロの為、支部長から年収で自分の生活を考えるように言われました。だだし神田西支社は支社長の経営方針で入社の3か月間は月2件を販売すれば5万円の給与が保証されると言う実力給与でした。

5月から飛び込み営業を始めましたが、保険は全く売れず5月の契約は当時の彼女からの1件と学生時代の友人からの1件でした。6月も知人からの2件、7月も知人からの2件でした、8月からは保障給与は無くなり8月5日に貰えたのはコミッショの

7000円呑みでした。飛び込み営業に行っても、バケツで水をかけられたり、

不法侵入者として110番通報されたり散々な結果でした。その為飛び込み営業は自分には向いていないと判断して支部長に退職の申し出をした所、

支部長から石原君は見込みがあると思い特別採用したのに残念だが退社しなさいと言われ世間の厳しさを体験しました。

その際、支部長から「8月は創業の月」と言って職員が全国一丸となって働く大増産月があり頑張れば佐渡島の一泊招待旅行があるので、8月の一か月を再度頑張るよう、

言われ仕事8月5日に貰った7000円の給与で8月自分の人生を賭けた、セールスマンに突入しました。

 

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生命保険のセールスマンの仕事は想像を絶する仕事でした。

当時の第一生命のセールスマンの給与はフルコミッション制で現在の給与体制とは全く異なり、神田西支社セールスマンの収入は月30万が目標(現在の価値で200万)でした。その為保険が売れなければ、その月の収入はゼロの為、支部長から年収で自分の生活を考えるように言われました。だだし神田西支社は支社長の経営方針で入社の3か月間は月2件を販売すれば5万円の給与が保証されると言う実力給与でした。

5月から飛び込み営業を始めましたが、保険は全く売れず5月の契約は当時の彼女からの1件と学生時代の友人からの1件でした。6月も知人からの2件、7月も知人からの2件でした、8月からは保障給与は無くなり8月5日に貰えたのはコミッショの

7000円呑みでした。飛び込み営業に行っても、バケツで水をかけられたり、

不法侵入者として110番通報されたり散々な結果でした。その為飛び込み営業は自分には向いていないと判断して支部長に退職の申し出をした所、

支部長から石原君は見込みがあると思い特別採用したのに残念だが退社しなさいと言われ世間の厳しさを体験しました。

その際、支部長から「8月は創業の月」と言って職員が全国一丸となって働く大増産月があり頑張れば佐渡島の一泊招待旅行があるので、8月の一か月を再度頑張るよう、

言われ仕事8月5日に貰った7000円の給与で8月自分の人生を賭けた、セールスマンに突入しました。

 

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生命保険のセールスマンの仕事は想像を絶する仕事でした。

当時の第一生命のセールスマンの給与はフルコミッション制で現在の給与体制とは全く異なり、神田西支社セールスマンの収入は月30万が目標(現在の価値で200万)でした。その為保険が売れなければ、その月の収入はゼロの為、支部長から年収で自分の生活を考えるように言われました。だだし神田西支社は支社長の経営方針で入社の3か月間は月2件を販売すれば5万円の給与が保証されると言う実力給与でした。

5月から飛び込み営業を始めましたが、保険は全く売れず5月の契約は当時の彼女からの1件と学生時代の友人からの1件でした。6月も知人からの2件、7月も知人からの2件でした、8月からは保障給与は無くなり8月5日に貰えたのはコミッショの

7000円呑みでした。飛び込み営業に行っても、バケツで水をかけられたり、

不法侵入者として110番通報されたり散々な結果でした。その為飛び込み営業は自分には向いていないと判断して支部長に退職の申し出をした所、

支部長から石原君は見込みがあると思い特別採用したのに残念だが退社しなさいと言われ世間の厳しさを体験しました。

その際、支部長から「8月は創業の月」と言って職員が全国一丸となって働く大増産月があり頑張れば佐渡島の一泊招待旅行があるので、8月の一か月を再度頑張るよう、

言われ仕事8月5日に貰った7000円の給与で8月自分の人生を賭けた、セールスマンに突入しました。

 

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私は人間には天命がある事を次々に体験

天命とは素晴らしい物です。B商事の人事担当者と口論した翌日の土曜日の午後に神田駅に私はいました。理由は私の彼女(現在熟年離婚した妻)とデイトの為でした。彼女は神田前の喫茶店で働いていましたが、勤務時間が17:00の為、私は時間つぶしの為、神田の映画館で映画でも見ようかと思いながら、映画館に向かって歩いていた時、40代の優しく立派な風貌の支部長に「今転職を考えていますか?」と声を掛けられて、神田駅前の喫茶店に入りました。その後会社見学として「第一生命、神田西支社、神田駅前支部」に見学に行き、その後神田西支社長と入社面接をしました、入社面接の際、

神田西支社長から

「石原君はとても優秀な人材でこれから、努力すれば私と同じ支社長迄昇格するかも知れないし、社長は無理だけど専務取締役までの道が有る、第一生命は学歴不問の素晴らしい会社と言われ」月曜日にB商事に行き退社届を提出して翌日の火曜日から第一生命の保険セールスマンの道に突入ました。

 

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就職先はどんなに小さな会社でも独立した企業に入社すべきである

<第8回>

私が入社したB商事は大手企業の子会社でした、又私の配属された先はB商事の更に関連のC自動車販売会社でした。4月にC自動車販売会社に配属された5人の新入社員の仕事は3人が自動車のセールスマンと2人は日産自動車の部品を販売する仕事でした。入社後組織の実態が分かり、セールスマンとして配属された社員はセールスマンとしてB商事に入社したのでは無いと言って退社していきました。私は年一度の人事面談で人事担当者に、セールスエンジニアの採用で入社したので、早く希望職種にもどして欲しいとお願いすると、人事担当者はB商事の仕事をするのに辺り色々な仕事を担当させる会社方針の為、しばらくは現在の日産自動車の部品販売をする事と言われ、2年間部品の販売の仕事をしました。2年目の人事面談で、人事担当者に、私は工学部機械工学科を卒業してその知識を活用した。会社を2社選び入社試験を受けました。1社はB商事のセールスエンジニアの仕事、2社目は自動車のスピードメーター会社の設計の仕事でしたが、郵送事故で入社試験が受けられず、御社のセールスエンジニアの仕事をする為に入社したので自分の希望職種に戻して欲しいと話すと、人事担当者は「お前は若いな5年位したら出直して来い」と言われてしまい、自動車のセールスマンとして採用され、退職した3人の同期生の事を思い出してしまい、B商事は大手企業の子会社の名前を利用して、不正に社員を採用する会社と判断してしまい、急に腹が立つてしまい、こんな会社、新しい仕事を見つけてから退職しますと言って、私は人事部の部屋を出て行ってしまいました。

結果その為、翌日から仕事をしながらの就職活動に入りました。

その後新しい就職先が見つかりB商事を退職後、自宅にB商事の人事担当者と思われる人が来て、母親に息子さんは、仕事をしていますかと訪問に来た話を、母親から聞きました。

 

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一通のハガキが自分の人生を変えてしまった

<第7回>

大学時代は遊ぶ金を得るため毎日をバイト生活に明け暮れた結果、大学の卒業成績は

「優」「良」「可」の判定でオール「可」で又おまけに私の大学は三流で就職先は残念ながら三流企業しか応募できませんでした。応募した企業は①日産自動車の下請けのスピードメーターのA社と②大手運送会社の系列会社のB商事会社の2社に応募しました。しばらくするとB商事の試験の案内状が郵送されましたが、A社の案内状が待てど暮らせど、来ないため、書類選考で落ちてしまったと思い、諦めていた日の午前10時ごろに応募したA社の人事担当者から電話が掛かって来ました。内容は本日の入社試験になぜ来ないのか電話でした。私は入社試験の案内状が来ないのは、成績が悪いので書類選考で落とされたと思い諦めていましたと回答をしました。これからが小説のような実例が起きました。人事担当者と電話の最中に、川口郵便局の局長がバイクに乗って「石原雄一郎さんはおりますか」と慌てた素振りで一枚のA社からの入社試験案内状を持って来ました。私が川口郵便局の局長に、A社の人事担当者と入社試験に行かなかった理由を説明をしている話をすると、電話口に局長が変わり、人事担当者に色々と説明をした結果、私だけ特別に午後から入社試験をしてくれる事になりましたが、当日は私の友人が私に会いに九州から飛行機で羽田まで来る為、A社の入社試験を断り、B商事に入社に至りました。此の決断が私が熟年離婚をして「一人ぼっちのバンコク暮らし」になる事を私も両親も全く想像で出来なかった、波乱万丈のスタートの始まりでした。

 

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