熟年の日記

熟年離婚バンコク一人ぼっちの年金暮らし

2020-01-01から1年間の記事一覧

タイで死んだらどうなるの?

死んだ彼がどうなったのかを日本大使館で聞いたところはっきりした話は本人のプライベートの話なので教えてくれませんでしたが、日本の緊急先に連絡したところ、お姉さんが高齢でタイに来ることが出来なのでタイ政府によってご遺体は処分されたとの事 バンコ…

類は友を呼ぶ

一人で食事をしていると本当に色々な日本人と知り合う事が出来ました。タイに来て カラオケの美人と再婚して60代で子供を産んで僅かな厚生年金で 子供が成人するまで、生きると言う人、日本に奥さんを住まわせ本人はタイに住んでゴルフ三昧の人、タイ美人の…

バンコクに戻り部屋探し

バンコクに戻り部屋探しをすると、奇跡的に一年前に住んで居た築年数が古いが プール、トレーニングジム、サウナ、WF、付きでプロンポン駅から徒歩5分で15000バーツのコンドミニアムの同じ部屋が空いていたので即入居しました。 同じ部屋番号の為全…

日本の住民届をタイに変更

タイで一人ぼっち年金暮らしをする際、日本の住民票をタイに変更すると、大変な状況になる事が判明しました。 <メリット> 1、住民税は支払わなくても良い 2、介護保険料は支払わなくて良い <デメリット> 1、国民健康保険なし 2、公的年金の税金が高…

私の僅かな財産の離婚調停

<第26回> 立川裁判所からの自宅の仮差押命令書を開けて見ると内容が理解出来ず、妻に聞くと妻からコピーされた1枚の名刺を渡されて全てはこちらの弁護士に任せてあるので電話して下さい。との事で止む無く翌日にその弁護士に連絡すると、裁判所からの仮…

手相学校に入学

<第25回> 私の趣味(楽しみ)は普通の人と違い、変わり者で無趣味で趣味(楽しみ)は仕事でした。酒のつまみは業績日報で業績日報を眺めながら日本酒を飲むのが楽しみでした。 その為タイでの旅行会社の事業に失敗して日本に帰国後、新たな仕事を探しま…

バンコク入国後、軍事クーデターが発生お客様が一人も来ず廃業

タイ青春倶楽部設立後すぐに軍事クーデターが発生してしまい、日本の外務省からは タイの渡航制限が発表され日本での予約は全てキャンセルされてしまいました。 又運悪く会社の運転資金100万バーツをタイ従業員に着服されしまいました。トドメは爆弾テロが発…

「微笑みの国タイ」に行き新たな仕事に挑戦

埼玉りそな銀行の資金コンサルタントを4年目に迎える時に第一生命の友人がタイでロングステイをしている話を聞き、一週間の休暇を取り友人とタイに遊びに行く事になり 友人の指導で「パスポート」「ビザのゴールドカード」を取得してタイ旅行に出かけました…

埼玉りそな銀行に再就職

<第32回> 退職後、翌月から再就職が決まりました。仕事の内容は資金コンサルタントです。銀行の渉外担当者と帯同して保険の販売をする仕事で週3日の勤務で20万円が貰える、定年後の再就職先としては大変有難い仕事でしたが、ノルマ等は一切有りませんで…

第一生命最後の職場は代理店業務推進部

<第23回> 最後の赴任先は私の退職後の住居を考慮してくれて東京勤務の代理店業務推進部への赴任になりました。代理店業務推進部は新しく新設された部門です。第一生命の販売チャンネルは営業職員による生命保険の販売だけでしたが、生命保険販売の自由化に…

セールスマンとして入社後31年目にしてやっと支社長に昇格

<第22回> 第一生命に24歳でセールスマンとして入社して苦節31年目で支社長に昇格しました。一番昇格を喜んでくれたのは母親でした。母親は大学を卒業して2年後に保険屋に転職する事を一番反対していました。正月に実家に帰ると母親が日本経済新聞の…

最初で最後の支社長への挑戦

<第21回> 24歳で第一生命にセールスマンとして入社して早くも29年目を迎え年齢的に支社長への最後の挑戦の人事異動でした。赴任先は湘南支社平塚営業部でした。平塚営業部は小粒でキラキラ輝いていた、素晴らしい営業部でした、前任者は私と同じく …

営業部長昇格の転勤先は残念ながら名古屋でした

<第20回> 岡崎支社長から転勤先は東京でなく名古屋の理由は、名古屋のトプが石原営業部長の活躍する場所を新しく新設営業部を設立してくれたので、そこで頑張よう言われ名古屋東支社大曽根営業部長で赴任、営業部長職は支部長職と全く違う為、大変苦労し…

岡崎支社西尾支部は海水浴場が有りお茶の産地の田舎でしたが「スピード」と「集中力」と「徹底力」で目標達成。

<第19回> 赴任は家族の関係で単身赴任でした、西尾駅を降りるとのどかな風景がありました。優しい女性所長が2名、駅に迎えに来てきていました。早速支部に行くと数名の職員が居りました。翌日岡崎支社長に着任の挨拶に行くと其処には24年前の小岩支部長…

営業部長への昇格支部に着任後「自分の存在は太平洋に泳ぐメダカ一匹」と感じる

<第18回> 春日部支社春日部支部に着任すると、新宿支社長から言われた通りの素晴らしい支部でした。全国の優績者と言われるトップセールスマンが在籍しており、職員は40名も在籍しており支社の牽引支部でした。又しっかりした支部長補佐、チームリーダ…

会社内の人事異動は職場のマンネリ化の防止の為

<第17回> 最強の職員と最強の募集市場で有っても営業の世界のマンネリ化の恐ろしさを体験する。新宿第二支部に着任して8年の歳月を過ぎると、朝礼で何を話しても、職員は又何時もの話をしていると言って8年前の着任時の職員さんの真剣な顔つきは完全に…

新宿第二支部の採用の取り組み。

<第16回> 職員は全員が職場募集と新宿第二支部のテリトリーが新宿支社の周りのビジネス街の為採用が全く出来ない為、止む無く、新聞広告に第一生命営業職員の採用折込チラシの投函と郊外の風呂屋に第一生命営業職員の採用のポスターを作成して掲示しまし…

新宿第二支部の個人能率向上の取り組み

<第17回> 個人能率向上は以外に簡単でした。職員全員が職場募集の為契約の全てが個人契約で 1件契約の金額が少額の為、職員が全く知らない法人契約の経営者保険の指導でした。 朝礼で経営者保険の仕組み、経理処理、ニード喚起を徹底的に指導して、職員…

新宿支社 新宿第二支部に赴任して会社設立を辞める事にしました

<第15回> 3度目の転勤先の支部は素晴らしい支部でした。「小岩支部」「北第二支部」に赴任時に朝礼に参加した職員は5名前後でしたが、30名の職員が朝礼に全員参加していて、一流企業の職場募集をしている、第一生命を代表する素晴らしいセールスレディ…

会社設立の為の資本金作り

<第14回> 仙台支社に赴任の年齢は私と小野寺支部長の年齢は31歳で結婚もしており子供もおりましたので第一生命を退職すると住まいも無くなり、毎月の給与も無くなる為、に一人500万円の預金を始めました。預金はボーナスの50%を預金して それ以…

神田西支社小岩支部での出来事が私の第一生命の運命を変えてしまった。

<第13回> お陰様で新任の小岩支部で、奇跡とも思える4年間で実働9名から実働40名の実績を踏まえて赴任先の仙台支社北第二支部に着任しました担当支部は実働15名で小岩支部より実働が多い支部でしたが毎日出勤する職員は7名位で前任支部と同じく支…

「8ステップ」の発案で年間採用Oが一ヶ月で10名の採用が出来る

<第12回> 第一生命のアパートに無事入居出来、妻の宗教による精神状態も落ち着き、支部長の職責を賭けた採用に突入しました。1年間採用ゼロの現状分析をした結果、採用見込者の女性の全ての断りは、働いて収入を得たいが生命保険の仕事だけは私には出来…

第一生命の素晴らしい営業部副長に助けられる。

所帯道具を運んだ先は新任赴任先の小岩支部の裏にある誰も住んでいない、支部長社宅、そこに所帯道具を降ろして、翌日から住まい探しを始めると、運よく小岩支部の職員さんで、アパート経営をしているベテランの優績がいて、私の話を聞いて、「風呂なしの部…

突然に妻が生まれたばかりの長女を連れて家でをする

神田西支社長に、「年間採用O名」で支部長退任を言われ、どうすれば若い、女性の営業職員が採用できるかを、神田西支社の支部で採用の成功している支部長から勉強している時期に、自宅に帰ると妻が「子供を連れて貴方の知らない所で生活します」との置手紙…

支部長に赴任1年後、「年間増員O名」の為、支部長職の解任を言われる

赴任した小岩支部は職員が9名で、すべてがベテランの50代~70代の女性で私が入社した神田駅前支部の20代~40代の男性だけの支部と全く異なりビックリしました。保険販売はベテラン職員と新任の挨拶訪問に行くと、人間関係が出来ている関係と小岩と…

支部長に昇格後の厳しい現実

<第11回> お陰様で27歳で第一生命の支部長に昇格した自分の強運(天命)に感謝して、赴任した支部は私がセールスマンとして所属していた同じ神田西支社の小岩支部でした。 支部長に昇格の際の新任支部長の抱負の挨拶は同期支部長の挨拶は実働30名の…

営業管理職への道

<第10回> 私は毎月の給与も安定して、毎日の如く、当時のクラブ遊びをしていました。 年齢も20代で現在の給与価値で200万円ぐらいの為、 第一生命の若き生命保険のトップセールスマンとして羽振りを利かしていました。 ある日支部長から保険のセー…

第一生命での生死を賭けた一日500円の生活

8月の給与が7000円と自分の持ち金が6000円しかなくこのお金で一ヶ月生活をする場合は川口駅から神田駅までの往復の電車賃を含めて13000円÷25日= 一日500円での生活の為、朝は60円の掛けそば、昼はコッペパン一個と牛乳の生活を余儀しな…

生命保険のセールスマンの仕事は想像を絶する仕事でした。

当時の第一生命のセールスマンの給与はフルコミッション制で現在の給与体制とは全く異なり、神田西支社セールスマンの収入は月30万が目標(現在の価値で200万)でした。その為保険が売れなければ、その月の収入はゼロの為、支部長から年収で自分の生活…

生命保険のセールスマンの仕事は想像を絶する仕事でした。

<第9回> 当時の第一生命のセールスマンの給与はフルコミッション制で現在の給与体制とは全く異なり、神田西支社セールスマンの収入は月30万が目標(現在の価値で200万)でした。その為保険が売れなければ、その月の収入はゼロの為、支部長から年収で…