私はフジスーパーの特売品のそうめんを食べています
私は毎週そうめんを自分で作って食べています。やり始めたきっかけはフジスーパー1号店でそうめん3束で43バーツで売っていらかからです。作り方は簡単です、3分間お湯で茹で氷水に漬けて出汁にネギを刻んで食べるだけです。そうめんの味は43バーツと思えない位美味しいです。味見をしたいので有れば今からフジスーパーに行けば買えます。後日に買いに行っら売り切れていいるかもしれません、そうめんを食べたい人至急にフジスーパーに行って下さい。
本日からブログを再開します
<本日はコロナ感染拡大の中で起きたドキュメンタリーを書きます>
私はバンコクで知り合った友人の突然死を見てバンコクで一人ぼっちの生活をしている日本人の為、非営利活動法人日本バンコク共済会を設立しました。
①設立メンバーは日本人役員2名 日本人アルバイト5人で事務所をOFFIC23に設置しまた。仕事は日本人のアルバイト5人は1部20バーツのダイレクトメールの作成。私は投函先に訪問して日本バンコク共済会の発行する世界初の共済保険の販売。
②日本バンコク共済会にある日、突然ブロガーのX氏が来社取材して日本バンコク共済会の活動を自分のブログに掲載する。
③今年に入りコロナ感染が再発した為と家賃とアルバイト5人の人件費を考慮して暫くの間事務所を閉鎖する。
④ブロガーのX氏は事務所閉鎖のことを知らず日本バンコク共済会が労働許可書無しで仕事をしているブログ記事を書くためにイミグレに通報
⑤イミグレは誰もいない事務所に行く
⑥日本バンコク共済会は加入企業に訪問しお詫びして保険料を全額返金して保険証券を回収する
⑦日本バンコク共済会はアルバイト5人を労働許可書なして雇用したタイの法律違反とコロナ感染問題を総合的に判断して残念ながら解散に至る
X氏の通報行為は当たり前のことですが危険なブロガーx氏に近づか無い方が賢明
タイで死んだらどうなるの?
死んだ彼がどうなったのかを日本大使館で聞いたところはっきりした話は本人のプライベートの話なので教えてくれませんでしたが、日本の緊急先に連絡したところ、お姉さんが高齢でタイに来ることが出来なのでタイ政府によってご遺体は処分されたとの事
バンコク銀行の預金について聞くと預金についても回答は出来ないとの事でした
仕方がない事ですが私もいつの日か必ずタイで死んであの世に行きます。
その為、タイに一人ぼっちで生活をしている日本人の為に
タイで死んだ時の「葬儀」「タイ銀行預金の解約」「遺族年金の申請」
をする為の非営利共済団体「日本バンコク共済会」を設立しました。
人は何かの目的をもって生まれて来ると言われております。今回大学卒業後の波乱万丈のブログを書きました。来年からダイレクトメールをお届けした企業様に突然お伺いしますのでよろしくお願いします。
類は友を呼ぶ
一人で食事をしていると本当に色々な日本人と知り合う事が出来ました。タイに来て
カラオケの美人と再婚して60代で子供を産んで僅かな厚生年金で
子供が成人するまで、生きると言う人、日本に奥さんを住まわせ本人はタイに住んでゴルフ三昧の人、タイ美人のバーに行きカラオケを歌う人、
昔に流行した「帰って来た酔っ払い」
の通り「バンコク良いとこ一度はおいで酒はうまいしねーちゃんは綺麗だ」
そんな一人ぼっちの年金生活をしている中で私と同年代の日本人と
知り合いの成りました。
彼は日本では独身生活をして退職後タイの魅力に魅かれ、本人の預金の全てタイ銀行に送金して厚生年金をタイ銀行で受け取る。私と同じ一人ぼっちの楽しい年金生活をしておりました。
まさに類は友を呼ぶの通り毎週日本食のランチを二人で楽しんでいましたが、
ある日突然に私と食事の最中に発作を起こしタイの病院に緊急入院しましたが
一週間後に死亡してしまいました。
私の僅かな財産の離婚調停
<第26回>
立川裁判所からの自宅の仮差押命令書を開けて見ると内容が理解出来ず、妻に聞くと妻からコピーされた1枚の名刺を渡されて全てはこちらの弁護士に任せてあるので電話して下さい。との事で止む無く翌日にその弁護士に連絡すると、裁判所からの仮差押命令書の通りですと電話を切られる。失礼な弁護士と思いインターネットで弁護士事務所を検索すると、その弁護士事務所は創価学会の弁護士事務所でした。
妻は創価学会員で私は無宗教者です。私は第一生命の友人から創価学会は裏ではカルト教団だったオーム真理教よりトンデモナイでもない事をやっている噂話を聞いていましたが、それが私に降りかかってしまいました。
早速トンデモナイ創価学会の弁護士との私の僅かな財産分割の離婚調停を立川裁判所で始まりました。
創価学会の財産分割の手口は①妻は350万円しか預金が無い②退職金で購入した
5000万円の自宅の評価が2100万円(私が購入した業者では3000万円であれば即金で業者が買い取る)
話し合いは平行線の為、裁判で私の僅かな財産の分割をする事としましたが、離婚調停最終日に二人の子供が裁判所に来て「お父さん自宅を売却すると私たちの住むところが無くなってしまう」と悲しい顔をして話す姿を見て,自宅は子供たちの為に広い自宅を建てた事を思い出し自宅を売却せずに財産分割を行いました。
結果自宅を失い僅かな預金と分割された年金を持って再びバンコクに戻り