熟年の日記

熟年離婚バンコク一人ぼっちの年金暮らし

手相学校に入学

<第25回>

私の趣味(楽しみ)は普通の人と違い、変わり者で無趣味で趣味(楽しみ)は仕事でした。酒のつまみは業績日報で業績日報を眺めながら日本酒を飲むのが楽しみでした

その為タイでの旅行会社の事業に失敗して日本に帰国後、新たな仕事を探しましたが、私ぐらいの年齢になると仕事は全く無くやむなく街頭で着物を着て帽子をかぶり手相占い師をやろうと手相学校に入学しました。

6か月で無事に手相学校の卒業証書を貰い、街頭での占い師は色々と問題が発生するので、占いの館のコーナーを毎月借りてそこで新米の手相占い師をする準備をしている、日曜日の午後に家庭裁判所から私が第一生命を36年間一日も休まず馬車馬の如く働いて貰った退職金5000万円で買った自宅の仮差押命令書

が立川裁判所から届きました

 

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バンコク入国後、軍事クーデターが発生お客様が一人も来ず廃業

タイ青春倶楽部設立後すぐに軍事クーデターが発生してしまい、日本の外務省からは

タイの渡航制限が発表され日本での予約は全てキャンセルされてしまいました。

又運悪く会社の運転資金100万バーツをタイ従業員に着服されしまいました。トドメは爆弾テロが発生してしてしまい日本人の一人が負傷してしまい止む無く会社設立1年で成果も全く無しで廃業に至りました。

日本帰国時は自分はプラス思考でどんな事が起きても前向きに対処して来ましたが

さすがに今回は落ち込んでしまい、二度とタイに来る事が無いと思いつつ飛行に乗り

「でも1年間自分を楽しませてくたタイに感謝して」帰国の途に就く

その後またタイに戻り又バンコクで同じ部屋のコンドミニアムに居住する事は

全く予想出来ませんでした。

 

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「微笑みの国タイ」に行き新たな仕事に挑戦

埼玉りそな銀行の資金コンサルタントを4年目に迎える時に第一生命の友人がタイでロングステイをしている話を聞き、一週間の休暇を取り友人とタイに遊びに行く事になり

友人の指導で「パスポート」「ビザのゴールドカード」を取得してタイ旅行に出かけました。タイに到着しタイの熱気とタイの文化に魅了され、一週間の旅行を終え日本に帰国しました。その後も2回ほどタイに行き、タイの魅力に染まり、42年間金融機関に勤めた仕事以外の旅行会社「タイ青春倶楽部」を最後の仕事として設立する事を決めました。

ホームページ制作に辺り業者とのパソコン操作が全くできない為、パソコン教室に入学してホームページを制作して、第一生命の知人の予約数名を取り付けて、会社運営の

「資金1000万円をバンコク銀行の私の口座送金してタイ語も全く話せない

状況で何とかなるさと」思い込みたった一人ぼっちでタイに入国する

 

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埼玉りそな銀行に再就職

<第32回>

退職後、翌月から再就職が決まりました。仕事の内容は資金コンサルタントです。銀行の渉外担当者と帯同して保険の販売をする仕事で週3日の勤務で20万円が貰える、定年後の再就職先としては大変有難い仕事でしたが、ノルマ等は一切有りませんでしたが

始めた時は成果が全く無く、成果に対するプレシャーは相当なものでした。

低迷していた時にお客様から「石原さんとっても良い保険ですが石原さんは、今回私に勧めしている第一生命の外貨建ての一時払い安心太鼓判に加入していますか?」

と言われ私は答える事が出来ませんでした。早速「第一生命の外貨建て一時払い500万の安心太鼓判」に加入して、お客様の所へ訪問すると、お客様は「石原さんと同じ保険に加入しますと言ってその場で契約に至りました。

その後は銀行の信用と私が加入した保険証券で契約ヒット率100%で毎月保険料で1億円、前後の保険が安定的に獲得が出来ました。

退職後の年収は厚生年金と第一生命の年金と埼玉りそな銀行の給与の3本柱でこの世の春を謳歌しました。

 

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第一生命最後の職場は代理店業務推進部

<第23回>

最後の赴任先は私の退職後の住居を考慮してくれて東京勤務の代理店業務推進部への赴任になりました。代理店業務推進部は新しく新設された部門です。第一生命の販売チャンネルは営業職員による生命保険の販売だけでしたが、生命保険販売の自由化により

販売業績に苦戦した為「損保ジャパン」「アフラック生命」の代理店を第一生命の保険販売代理店にして業績改善を目的に新設された部門です。

仕事の内容は代理店に訪問して第一生命の保険販売の教育と指導でした。第一生命の部下は一切なく一人ぼっちの仕事でした。

元々セールスマンとして入社して仕事をしていた為、水を得た魚のように毎日が楽しく仕事をする事が出来ました。お陰様で業績がトップクラスで有った関係で、第一生命が相互会社から株式会社になるまでの62歳まで定年延長ができました。

 

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セールスマンとして入社後31年目にしてやっと支社長に昇格

<第22回>

第一生命に24歳でセールスマンとして入社して苦節31年目で支社長に昇格しました。一番昇格を喜んでくれたのは母親でした。母親は大学を卒業して2年後に保険屋に転職する事を一番反対していました。正月に実家に帰ると母親が日本経済新聞の人事異動昇格欄に高知支社長石原雄一郎と記載された新聞の拡大コピーを見せ、泣きながら

「雄一、支社長になったのか、母ちゃん嬉しい」と言ってくれました。

高知支社長赴任後に分かった事は第一生命の支社長職は「人、物、金、」の全てを任せてくれる真の経営でした。

早速支社長評価の3部門に挑戦しました。1年目は「法人部門」で入賞して本社表彰に入賞で出来ましたが2年目は全ての部門が今一歩で終了3年目は全く駄目で、本社役員から電話で、「石原支社長、長い間お疲れ様でした、支社長職を後輩に譲って下さい」と言われ代理店業務推進部に最後の転勤に至りました。

 

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最初で最後の支社長への挑戦

<第21回>

24歳で第一生命にセールスマンとして入社して早くも29年目を迎え年齢的に支社長への最後の挑戦の人事異動でした。赴任先は湘南支社平塚営業部でした。平塚営業部は小粒でキラキラ輝いていた、素晴らしい営業部でした、前任者は私と同じく

セールスマンとして入社して大活躍した、大先輩の速水営業部長が完璧に築いた素晴らしい営業部でした。又営業部課長が1名配置されていて、私の最後の挑戦に相応しい営業部でした。支社長への昇格基準は「陣容拡充」「保有純増」「法人開拓」の3部門を獲得すれば確実に昇格出来るようになって居る為、1年目から3部門に挑戦しました。前任の営業部長が完璧な組織を完成していた為、だだ号令を賭けて居るだけで、面白いように成績が挙がり、3部門の達成は出来ませんでしたがお陰様で2部門を2年連続で達成する事が出来て、着任2年で支社長昇格になりました。

 

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