熟年の日記

熟年離婚バンコク一人ぼっちの年金暮らし

「微笑みの国タイ」に行き新たな仕事に挑戦

埼玉りそな銀行の資金コンサルタントを4年目に迎える時に第一生命の友人がタイでロングステイをしている話を聞き、一週間の休暇を取り友人とタイに遊びに行く事になり

友人の指導で「パスポート」「ビザのゴールドカード」を取得してタイ旅行に出かけました。タイに到着しタイの熱気とタイの文化に魅了され、一週間の旅行を終え日本に帰国しました。その後も2回ほどタイに行き、タイの魅力に染まり、42年間金融機関に勤めた仕事以外の旅行会社「タイ青春倶楽部」を最後の仕事として設立する事を決めました。

ホームページ制作に辺り業者とのパソコン操作が全くできない為、パソコン教室に入学してホームページを制作して、第一生命の知人の予約数名を取り付けて、会社運営の

「資金1000万円をバンコク銀行の私の口座送金してタイ語も全く話せない

状況で何とかなるさと」思い込みたった一人ぼっちでタイに入国する

 

埼玉りそな銀行に再就職

退職後、翌月から再就職が決まりました。仕事の内容は資金コンサルタントです。銀行の渉外担当者と帯同して保険の販売をする仕事で週3日の勤務で20万円が貰える、定年後の再就職先としては大変有難い仕事でしたが、ノルマ等は一切有りませんでしたが

始めた時は成果が全く無く、成果に対するプレシャーは相当なものでした。

低迷していた時にお客様から「石原さんとっても良い保険ですが石原さんは、今回私に勧めしている第一生命の外貨建ての一時払い安心太鼓判に加入していますか?」

と言われ私は答える事が出来ませんでした。早速「第一生命の外貨建て一時払い500万の安心太鼓判」に加入して、お客様の所へ訪問すると、お客様は「石原さんと同じ保険に加入しますと言ってその場で契約に至りました。

その後は銀行の信用と私が加入した保険証券で契約ヒット率100%で毎月保険料で1億円、前後の保険が安定的に獲得が出来ました。

退職後の年収は厚生年金と第一生命の年金と埼玉りそな銀行の給与の3本柱でこの世の春を謳歌しました。

第一生命最後の職場は代理店業務推進部

最後の赴任先は私の退職後の住居を考慮してくれて東京勤務の代理店業務推進部への赴任になりました。代理店業務推進部は新しく新設された部門です。第一生命の販売チャンネルは営業職員による生命保険の販売だけでしたが、生命保険販売の自由化により

販売業績に苦戦した為「損保ジャパン」「アフラック生命」の代理店を第一生命の保険販売代理店にして業績改善を目的に新設された部門です。

仕事の内容は代理店に訪問して第一生命の保険販売の教育と指導でした。第一生命の部下は一切なく一人ぼっちの仕事でした。

元々セールスマンとして入社して仕事をしていた為、水を得た魚のように毎日が楽しく仕事をする事が出来ました。お陰様で業績がトップクラスで有った関係で、第一生命が相互会社から株式会社になるまでの62歳まで定年延長ができました。

セールスマンとして入社後31年目にしてやっと支社長に昇格

第一生命に24歳でセールスマンとして入社して苦節31年目で支社長に昇格しました。一番昇格を喜んでくれたのは母親でした。母親は大学を卒業して2年後に保険屋に転職する事を一番反対していました。正月に実家に帰ると母親が日本経済新聞の人事異動昇格欄に高知支社長石原雄一郎と記載された新聞の拡大コピーを見せ、泣きながら

「雄一、支社長になったのか、母ちゃん嬉しい」と言ってくれました。

高知支社長赴任後に分かった事は第一生命の支社長職は「人、物、金、」の全てを任せてくれる真の経営でした。

早速支社長評価の3部門に挑戦しました。1年目は「法人部門」で入賞して本社表彰に入賞で出来ましたが2年目は全ての部門が今一歩で終了3年目は全く駄目で、本社役員から電話で、「石原支社長、長い間お疲れ様でした、支社長職を後輩に譲って下さい」と言われ代理店業務推進部に最後の転勤に至りました。

 

最初で最後の支社長への挑戦

24歳で第一生命にセールスマンとして入社して早くも29年目を迎え年齢的に支社長への最後の挑戦の人事異動でした。赴任先は湘南支社平塚営業部でした。平塚営業部は小粒でキラキラ輝いていた、素晴らしい営業部でした、前任者は私と同じく

セールスマンとして入社して大活躍した、大先輩の速水営業部長が完璧に築いた素晴らしい営業部でした。又営業部課長が1名配置されていて、私の最後の挑戦に相応しい営業部でした。支社長への昇格基準は「陣容拡充」「保有純増」「法人開拓」の3部門を獲得すれば確実に昇格出来るようになって居る為、1年目から3部門に挑戦しました。前任の営業部長が完璧な組織を完成していた為、だだ号令を賭けて居るだけで、面白いように成績が挙がり、3部門の達成は出来ませんでしたがお陰様で2部門を2年連続で達成する事が出来て、着任2年で支社長昇格になりました。

営業部長昇格の転勤先は残念ながら名古屋でした

岡崎支社長から転勤先は東京でなく名古屋の理由は、名古屋のトプが石原営業部長の活躍する場所を新しく新設営業部を設立してくれたので、そこで頑張よう言われ名古屋東支社大曽根営業部長で赴任、営業部長職は支部長職と全く違う為、大変苦労しましたが3年で営業部長職とは何ぞやかの勉強が出来ました。

3年目の人事面談で、転勤先を東京方面をお願いすると、当時の宮川支社長が東京方面で支社長を目指すように石原営業部長は最高の評価をつけるので頑張るようと言ってくれた、宮川支社長の心ある優しさを感じ、自分が第一生命にセールスマンとして入社して、色々な問題で遠回りをしましたが新たな気持ちで新任地に行く事にしました。

 

 

岡崎支社西尾支部は海水浴場が有りお茶の産地の田舎でしたが「スピード」と「集中力」と「徹底力」で目標達成。

赴任は家族の関係で単身赴任でした、西尾駅を降りるとのどかな風景がありました。優しい女性所長が2名、駅に迎えに来てきていました。早速支部に行くと数名の職員が居りました。翌日岡崎支社長に着任の挨拶に行くと其処には24年前の小岩支部長時代に

実習生として勉強に来ていた浜野支社長が居りました。第一生命での本社採用の人材とセールスマンとして入社した格の違いを感じました。

早速支社長から仕事の引継ぎが有りました。指示された点は2点ありました。

1点目は岡崎支社にはベテランの支部長が居ない為、着任早々ですが労働組合の執行委員長をして引き受けて貰いたい話し

2点目は西尾支部はひと昔前は支部全国王座を獲得した伝統ある名門支部でしたが採用不振が原因で衰退してしまったので、大採用をして全国王座を再度、獲得して欲しい話しでした

春日部支社での支社長の人事権の強烈さを肌で体験した為、浜野支社長と2年でこの二点を行えば東京に戻してもらう約束を取り付け翌日から実行する

1点目は岡崎支部(岡崎支社)の労働組合の書記長と面談、執行委員長の立候補届を提出して、着任時から執行委員長になりました。

2点目は非常に大変でした大量採用の方法は体験していましたが、その新人を活用して保険を取らせて、2年で第一生命の全国王座にする事は大変でしたが、色々と他支部の成功事例を参考にして3点の解決方法を考えました

それは「西尾カーニバル」「フラワー作戦」「西尾支部の制服採用」の3点でした。

「西尾カーニバル」

この方法は年2回の夏休みと春休みの時、西尾支部市内の公民館を借りて親子連れの「西尾カーニバル」にお誘いをして参加者の母親に抽選をしてもらい当選品を支部まで取りに来てもらいました。その際に新宿支社と同様に7日間の会社説明会にお誘いをし、その後取扱者と食事をして貰いながら取扱者から入社のお勧めする方法で2年間で100名位の採用が出来、念願の実働70名の全国のNO1の支部が完成しました。

「フラワー作戦」

この方法は大都会の職場募集が出来ない田舎の為、第一生命の他の支部で成功してる方法を採用しました。西尾支部のテリトリー内の会社と名前の付く全ての企業に毎週、1回お花を届ける作戦です。2年間、実践してビックリしましたが、大した産業の無い西尾支部が法人契約獲得で全国10位に入賞で出来ました

「西尾支部制服の採用」

制服採用も他の第一生命の支部で成功している事例を参考にして取り入れました。岡崎支社の支社大会に70名の職員が同じ制服を着て参加する事で、西尾支部の特権階級の意識が生まれました

 

結果全ての項目が作用して、お陰様で2年間で岡崎支社長と約束した実働70名で年間保険販売額の全国王座が獲得出来、翌年の本社表彰式の全国王座に入賞出来ました。

20年前に支部親睦会費の管理でしかられた当時の森田課長(現在の森田社長)から表彰状を受け取る事が出来ました。

大変厳しい2年間でしたが、仕事の成功は「スピード」と「集中力」と「徹底力」があれば何とかなる事を体験しました。