熟年の日記

熟年離婚バンコク一人ぼっちの年金暮らし

「8ステップ」の発案で年間採用Oが一ヶ月で10名の採用が出来る

<第12回>

第一生命のアパートに無事入居出来、妻の宗教による精神状態も落ち着き、支部長の職責を賭けた採用に突入しました。1年間採用ゼロの現状分析をした結果、採用見込者の女性の全ての断りは、働いて収入を得たいが生命保険の仕事だけは私には出来ないとの事の為、私の3年間の募集体験で営業活動を「7ステップ」にして全くの営業経験のない主婦が7つのステップを踏めば、必ず契約が取れる方法を考案しました。それを模造紙に7分割する際大変な為、無駄なステップを「ひとコマ」増やして「8ステップ」が完成しました。

早速9人のベテラン職員に「8ステップ」を説明して新しい保険営業のスタイルを理解させ自分の知り合いの既契約者に説明に行かせると、

なんと「年間採用ゼロ」の支部が一ヶ月で10名の採用が出来ました。その後2年間で採用した職員が同僚誘致をしてくれて、実働9名の支部が実働40名になり、会社で古かった支部の建物を新築の鉄筋建てのビルを建ててくれました。

小岩支部で貴重な体験をしました。物事上手く、行かない場合は現状を分析をして、その改善策を考えて行動して、失敗してもさらに解決策を考えれば、必ず成功する。

支部経営とは「計画」「実行」「検討」の繰り返しが全てである事を体験しました。

 

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第一生命の素晴らしい営業部副長に助けられる。

所帯道具を運んだ先は新任赴任先の小岩支部の裏にある誰も住んでいない、支部長社宅、そこに所帯道具を降ろして、翌日から住まい探しを始めると、運よく小岩支部の職員さんで、アパート経営をしているベテランの優績がいて、私の話を聞いて、「風呂なしの部屋が空いている」と言ってただ当然の家賃で貸してくれました。そこにしばらく住んで居ると、営業部副長が私の話しを聞きつけて、本来であれば社宅は、社命に因る転勤でしか入居出来ないが、住居を替えた理由を考慮し会社に折衝してくれて、第一生命の鎌田アパートに入居する事が出来ました。又そのアパートの上の階に数年後に第一生命に昇格した,

森田社長が住んでいました。その後私が次の転勤先の仙台支社での問題で再度、社長に再開して、私の波乱万丈の人生を痛切に感じる事となりました。

 

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突然に妻が生まれたばかりの長女を連れて家でをする

神田西支社長に、「年間採用O名」で支部長退任を言われ、どうすれば若い、女性の営業職員が採用できるかを、神田西支社の支部で採用の成功している支部長から勉強している時期に、自宅に帰ると妻が「子供を連れて貴方の知らない所で生活します」との置手紙と「全国の宿」の本がありました。それは私が妻と結婚の際、恐れていた事が起きてしまいました。恐れていた事とは妻の宗教の事でした。妻は物心がついたころに親にある宗教に連れて行かれ、その時からある宗教の学会員でした。私は長男の為、結婚後、妻と両親と同居しておりました。父親は真理教という神道の信者で、毎週日曜日には天照大御神様の則事を30分ぐらい言ってから家族が全員で夕食を食べる、生活をしていた為に、一般常識では考えられないぐらい妻はその生活に耐えきれないための家出でした。家出をしてから一週間後に妻はやつれた姿で生まれたばかりの長女連れて帰って来ました。妻のやつれた姿を見て宗教の怖さを感じ母親に妻の家出の原因を話すと、母親は「かーちゃんは大丈夫だから」と言われた為、翌日に親戚のおじさんのトラックを借り最低限の所帯道具を載せて、住む宛ても無いまま自宅を後にする。

 

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支部長に赴任1年後、「年間増員O名」の為、支部長職の解任を言われる

赴任した小岩支部は職員が9名で、すべてがベテランの50代~70代の女性で私が入社した神田駅前支部の20代~40代の男性だけの支部と全く異なりビックリしました。保険販売はベテラン職員と新任の挨拶訪問に行くと、人間関係が出来ている関係と小岩という下町の文化の関係で必ず、既契約からの見直し契約か、追加契約が獲得出来、毎月の販売目標は簡単に達成出来ましたが、支部長職の最大の職務である増員(営業職員の採用)が全く出来ず赴任1年後に「増員O名で神田西支社長から呼び出されて、石原君は優秀な人材と思い支部長にしたが」セールスマンとしてこれから神田駅前支部に戻りセールスマをするようにとの厳しい指摘がありました。その時私は「もう1年支部長させて下さい、それで駄目ならば私の話しを信じて第一生命に転職をして来た、私の15名の相棒に申し訳ないので別の支部でセールスマンをやります」と言って、支社長室を後にする。

 

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支部長に昇格後の厳しい現実

<第11回>

お陰様で27歳で第一生命の支部長に昇格した自分の強運(天命)に感謝して、赴任した支部は私がセールスマンとして所属していた同じ神田西支社の小岩支部でした。

支部長に昇格の際の新任支部長の抱負の挨拶は同期支部長の挨拶は実働30名の支部を目指すとか具体的な数字目標を掲げていましたが、私は目標数字を掲げず、

支部長」「営業部長」「支社長」を乗り越えて「第一生命の社長」を目指す。と書いたところ

支社副長にふざけたコメントをするなと、叱られましたが、自分の第一生命の目標として新任支部長の抱負として「第一生命の社長を目指す」として、第一生命の支部経営の欄に全国掲載されました。

その後に新任の4月から、支部長職としての能力の無い自分自身の

地獄を1年間体験する事になりました。

 

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営業管理職への道

<第10回>

私は毎月の給与も安定して、毎日の如く、当時のクラブ遊びをしていました。

年齢も20代で現在の給与価値で200万円ぐらいの為、

第一生命の若き生命保険のトップセールスマンとして羽振りを利かしていました。

ある日支部長から保険のセールスマンも大変よい仕事だか、入社面接時に神田西支社長

から言われた支部長をやらないかと言われ、如何したら、支部長に慣れるのかを、

聞いたところ、増員と言ってセールスマを採用してその人間を、一人前のセールスマンに育成した人数で慣れるとの事で早速増員を始めました。最初は学生時代の友人を

私の30万円の給料明細書をみせ私と同じく転職させました。採用した人数は3名でした、すると6か月後位の時期に

 

支部長から、支部長昇格の一歩前の事務所長になったとの事で自分の肩書に事務所長の付いた名刺を支部長からもらいました。採用もその仲間がしてくれて自分の部下が15名になると、支部長から4月から支部長に昇格したとの事で24歳でセールスマンとして入社して、3年の27歳で支部長に昇格出来た強運(天命)を感じ若年29歳で支部長への道に突入しました。

 

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第一生命での生死を賭けた一日500円の生活

8月の給与が7000円と自分の持ち金が6000円しかなくこのお金で一ヶ月生活をする場合は川口駅から神田駅までの往復の電車賃を含めて13000円÷25日=

一日500円での生活の為、朝は60円の掛けそば、昼はコッペパン一個と牛乳の生活を余儀しなくてはならず大変でした。8月の炎天下の営業の為、喉が渇くと公園か公衆トイレに行き水を飲む、考えたらゾットする生活でした。持ち金も一日の活動費呑みの500円をポケット入れての活動で今、思えば24歳の若さと何とか成功したい信念が有ったから出来たと思います。第一生命での第一号契約は3カ月かけて訪問した契約者で出版会社の社長さんで、訪問すると「石原君は熱心だね」と言ってくれて、古い他社の保険証書を見せてくれて、毎月の保険料がいくら払えるので、それで加入するとの事で契約に至りました。8月は3か月かけても一件もとれなかった契約がなんと

10件10100万の契約が獲得出来て9月の給与は30万円になり優績者招待旅行に入賞する事ができました。「8月の第一生命の月」の活動で保険営業は保険を販売する事でなく、自分を売り込む事である事を知り、その後は全く成績に苦労した事が無くなり、保険セールスマンしてのスタートが始まりました。

 

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